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出来事と史料

山﨑丞さんの、主な出来事と、関連する史料についてです。 ■池田屋事件 山﨑さんの華々しい活躍が描かれることが多い池田屋事件ですが、あれはフィクションであることが分かっています。 活躍し、ボーナスを貰った隊士の名簿には、山崎さんの名前はありません。 ですが、本来、居ないはずの隊士の名前が書かれており、それが山﨑さんでは?との見方もあります。 ここでも、「不詳」としか言えません。 ■『取調日記』 日野市郷土資料館様 のご厚意により、郵送でコピーを取り寄せました。 平成16年10月末、同館は史料提供を受け、展示したとのこと。 新史料に界隈が沸き立ったことでしょう。 かく言う私もその一人。 史料の最後のページには、立派な文字で大きく「山﨑丞」と書いてあります。 心躍る史料です。 これまで、もしかしてフィクションなのでは?!とも思っていた山﨑さんが、実在したのです。 心躍らない者は居ないのでは? 84ページに渡るタイトル『取調日記』には、日記は殆ど書かれておらず、隊士の名簿、洋式の軍の練習、俳句、等が書かれています。 専門家の方も、不明なことが多い、とのこと。 ネットニュース にもなりました。 ■『中山忠能(ただやす)日記』 中山忠能は、江戸末期から明治前期にかけての公家、政治家。 この日記から、山﨑さんが中山忠能に会いに来た、ということが読み取れます。 史料は、 国立国会図書館デジタルコレクション にて確認出来ます。 ■『中山忠能履歴資料』 こちらの史料も、 国立国会図書館デジタルコレクション にて確認出来ます。 山崎さんと吉村貫一郎が広島で活動していたことが伺えます。 ■『しろうや!広島城No.37』 広島城発行の冊子。 こちらも、 広島城公式サイト で確認出来ます。(バックナンバーから37号をご覧ください) 山﨑さんと吉村貫一郎が広島で活動していたことが詳細に書いてあります。 ■『おん祭と春日信仰の美術』 2013年12月7日から2014年1月19日迄、奈良国立博物館にて開催された『おん祭と春日信仰の美術』にて、「新撰組 山崎丞 切紙」が展示されたとのこと。 奈良国立博物館公式ホームページ にて詳細が確認出来ます。 ■『古文書つれづれ33 幕末京都の事件と記録 記録の中の”新選組”その2』 鎌倉時代末期から続く公家・柳原家へ、山﨑さん・土方さん達が訪問した様子が記されて...

略歴

山﨑丞さんの人生の、おおまかな流れについてです。 山﨑さんについての史料は少なく、「不詳」な部分が大いにあります。 その為、不確かな事も多いので、そこはどうぞご了承ください☆ 名前:山﨑丞(やまざき すすむ)さん ※「烝」の方が目にすることが多いのですが、ご本人の自筆では「丞」の為、本サイトではこちらをメインとします。 生没年 ・天保4(1833)生まれ?  ~慶応4年1月13日(1868年2月6日)没? 出身 ・摂津国大坂? ・山城国? 生家 ・医家? ・薬種問屋? ・鍼屋? 佩刀 ・井上和泉守国貞(真改)? 流派 ・香取神道流棒術 長巻使い? 文久3(1863)末〜元治元(1864)春頃?  入隊 元治元(1864)  5月頃 動向調査 情報探索?  6月5日 池田屋事件 慶応元(1865)  5月~『取調日記』  11月 永井主水尚志に従い広島へ  広島城付近に宿か?  (出典:『中山氏 日記・履歴資料』『しろうや!広島城』) 慶応2(1866)  7月迄 吉村貫一郎と広島に潜伏。 慶応3(1867)  6月 柳原家へ  (出典:柳原家『役所雑記』慶応3年)  12月『金銭出入帳』 慶応4(1868)  1月3日 鳥羽伏見の戦い、伏見奉行所炎上  1月4日 淀  1月5日 淀城入城拒絶。淀千両松にて負傷  1月6日 橋本宿、終戦  1月13日 江戸へ撤退の際、富士山丸の船上で死去 紀州沖で水葬?陸上で埋葬? お墓 ・JR板橋駅前 「顕光院貫月義実居士」 以上が、分かっている略歴です。 「?」が多過ぎますね。

まえがき

初めまして!さやかと申します。 こちらは、山﨑丞さんのことを纏めたサイトです。 史実は勿論、フィクションの作品についても記したいと思っています(^o^) 今回は、私が新選組に辿り着いた時のお話をしますね! 私は幼い頃から、侍に憧れていました。 学生時代の愛読書は、武士の嗜みを書いた『葉隠れ』や、宮本武蔵の『五輪書』、江戸時代の大人気読本『南総里見八犬伝』。 よく見ていた時代劇は『三匹が斬る!』でした。 (今の若い人はご存じ無いでしょうが、一昔前は、時代劇オンパレードだったのです!) 幼少期から時代劇に触れ、侍が大好きな私が新選組に辿り着くのは、時間の問題でした。 まずはじめに興味を惹かれたのは、佐々木小次郎でした。 宮本武蔵に敗れた、あの小次郎です。 研究しようとしましたが、すぐに断念。 資料が圧倒的に少なかったのです。 (とは言っても、巌流島に上陸したり、岩国の小次郎の像を見に行ったりはしました!) 他にももっと知りたい、という欲求をそのままに、次に手に取ったのは、白虎隊。 ですが、これもすぐに断念。 理由は、悲し過ぎたから。 当時、15~16歳のうら若き女学生だった自分には、余りにも衝撃的で、史料を読み続けることが困難だったのです。 気を取り直して次に着手したのが、新選組でした。 大学受験勉強もそこそこに、新選組関連の書物を読み漁り、没頭していきました。 今のようにインターネットも殆ど普及しておらず、スマホどころか、携帯電話も存在していたか怪しい時代。 ポケベルがようやく出てきた頃。 その為、研究となると、図書館や書店のお世話になるしかないのです。 当時通っていた高校の図書室の司書さんと仲良くなり、本来は入れない書庫に特別に入れて貰い、歴史雑誌を片っ端から読んでいきました。 また、歴史好きな先輩がおり、新選組をモチーフにした小説をお借りしたことも、深みにハマる要因でした。 その小説の中で、一番のお気に入りが、広瀬仁紀氏著『沖田総司恋唄』。 この中で活躍する山﨑丞さんに、学生の私は心を鷲掴みにされたのです。 それから、山﨑さんを研究すること30年… (30年と書いて、自分が一番おののいています。光陰矢の如しとはこのことか。) 永年、いつかは形にしたいと思っていたので、このサイトには大変意味のあることだと自負しています。 ただ、一介の歴史好きの主婦が書いた代物なので...