【番外編】佐々木小次郎と私
今回は、佐々木小次郎について記したいと思います。
このブログサイト『新選組 山﨑丞』には関連性は無いのですが、私個人が一番初めに惹かれた侍であり、私の侍のルーツと言っても過言では無いので、ここに記しておきたいと思い筆を執りました。
佐々木小次郎とは、宮本武蔵と対決して敗れたことで有名な、あの小次郎です。
(大変不名誉な名の成り方ですが…)
小次郎は、安土桃山時代から江戸時代初期に活躍した剣豪で、剣の流派「巌流(がんりゅう)」(もしくは「岩流」「岩柳」「岩龍」「岸柳」とも)の創始者です。
生まれた年月は不明、慶長17年4月13日(1612年5月13日)武蔵に敗れて亡くなったと言われています。
出身は、越前国宇坂庄浄教寺村(現在の福井県福井市浄教寺町)との説(『二天記』より)、もしくは豊前国田川郡副田庄(現在の福岡県田川郡添田町)の豪族・佐々木氏のもとに生まれたとの説があります。
剣の師匠は、福井の中条流(ちゅうじょうりゅう)富田勢源(とだせいげん)、もしくは富田勢源門下の鐘捲流(かねまきりゅう)鐘捲自斎(かねまきじさい)と言われています。
安芸国の毛利氏に仕えた後、武者修行の為諸国を周り、秘技「燕返し」を編み出し、「巌流」と呼ばれる流派を創始しました。
その後、小倉藩の剣術師範となっています。
「燕返し」は、熊本藩・豊田景英(とよたかげひで)が編纂した『二天記』によると、福井の一乗滝で編み出したとのこと。
また、吉川英治著・小説『宮本武蔵』では、山口県の錦帯橋(きんたいきょう)にて編み出したとされており、ある柳の傍には「巌流ゆかりの柳」と書かれた札が立っています。
富田勢源もしくは鐘捲自斎の弟子で、諸国を武者修行して周った、とのことから個人的には、福井県出身で南に降りて小倉まで来たのではないか、と考えています。
『二天記』によると、巌流島(当時は「舟島(ふなじま)」と呼ばれていました)での戦いの時、武蔵は29歳、小次郎は18歳であると書かれていますが、これは「78歳」の誤りかも、と言われています。
富田勢源、もしくは鐘捲自斎の弟子であるならば、18歳だと時代が合わず、少なくとも50代以降でなければ合わないのです。
創作では、小次郎は美青年として描かれていますが、本来は中年の剣豪だったかもしれません。
(小次郎ファンの夢を砕くような説ですが…ちなみに私も美青年説を推していたので、この説には打ち砕かれました)
小次郎の刀は、「備前長光(びぜんながみつ)」(刃長3尺余(約1メートル)の太刀)と言われており、別名「物干し竿(ものほしざお)」とも呼ばれています。
小次郎の長剣「物干し竿」に対し、武蔵は櫂(かい・船を漕ぐオールのこと)を削って作った木刀2振りで戦ったと言われています。
慶長17年4月13日、巌流島での戦いにおいて、小次郎が抜刀した際、鞘を海に投げた為、武蔵が「小次郎敗れたり!」と言った、という逸話があります。
これは、勝者ならば刀を鞘に戻すので、鞘を投げ捨てた小次郎は負けが確定している、と言う訳です。
確かにな…と、妙に説得力があります。
また、遅刻して来た武蔵に対して、小次郎が「遅いぞ武蔵!」と言った逸話も有名ですが、これは、武蔵の養子・伊織により否定されています。
実際は遅刻せずにちゃんと来ていたみたいです。
以上が、簡単ですが佐々木小次郎についてでした。
これらを踏まえて、私が行ったことのある小次郎の史蹟をご紹介します。
まずは巌流島です。
高校時代に2度、そして今年(2026年)に1度、合計3度渡っています。
高校時代の時には小さな石碑のみで、武蔵小次郎の銅像はまだ建っていませんでした。
当時はまだスマホもガラケーも無く、写真も撮っていなかったので記憶のみです…
今年のGWに友人と下関に遊びに行った折、巌流島まで気軽に渡れると知り、ウッキウキで船に乗りました。
小倉に車を置いていたので、下関→巌流島→門司港という流れで、船で移動しました。
何も無かった高校時代とはうって変わって、佐々木小次郎と宮本武蔵の銅像、ポケふた(ポケモンのマンホール)が2つ、坂本龍馬が奥様のお竜さんと新婚旅行で立ち寄り花火をした、という石碑、休憩所・お手洗い、…諸々揃っており、もしかしたら1日ゆっくり出来るのでは?!と感激しました。
下関の乗船券を求める受付では、巌流島に渡った記念ポストカード(100円)が頂けます。
しかも、宛先に自分の住所を書いてお渡しし、受付の方が投函、後日郵送されるという、とても記念になるポストカードです。旅の記念にぴったりですね。
次に、山口県岩国です。
錦帯橋のほとりの柳のたもとに、巌流の札が立っています。
また、そこから少し歩いた所に、小次郎の銅像が建っています。
初めて見た小次郎の銅像がこちらの銅像だったのですが、美青年で嬉しかったですね。笑
そして、刀を持つ手の握り方が独特なのですが、これは巌流という流派の特徴なのでしょうか?巌流島の銅像も同じ握り方なので、何か意味があると思いますが、よく分かりません…
最後に、小次郎の刀についてです。
小次郎の刀と言われる備前長光とは、鎌倉時代後期に活躍した、備前国(現在の岡山県)長船派(おさふねは)の刀匠のことです。
長船派の祖・光忠の子と言われています。
2015年5月、岡山県瀬戸内市にある備前長船刀剣博物館へ初めて行き、そこで備前長光の御守刀(模造刀)を購入。
買う時に緊張し過ぎて、「びぜんおさみつ…アッ(間違えた、ながみつだった!)」と言ってしまい、女性の店員さんから冷ややかに「ながみつですね」と返され大変恥ずかしい思いをしたのを覚えています。緊張して「おさふね」と「ながみつ」がごっちゃになったのよーー(;_;)
また、熊本市にある島田美術館には、小次郎の使ったとされる刀の復元刀が展示されています。
重厚な畳の間に鎮座しており、大切にされていることがひしひしと感じられます。
島田美術館には武蔵の肖像画や武蔵作の彫刻、鐔等、宮本武蔵に関するお品物が沢山所蔵されてあります。
館内は基本的に写真撮影禁止ですが、一部撮影可能な箇所があり、武蔵の肖像画のポップとも一緒に写真撮影出来ますので是非(^^)






















