佩刀
山﨑さんの持っていた刀は、「和泉守国貞(いずみのかみ・くにさだ)」と言われています。
“池田屋騒動に出動した新選組隊士三十四人の佩刀は新選組刀研師源龍斎俊永の覚え書に記録せられたが、池田屋騒動には必ず出て来る探索方山崎蒸の名前は書き留められていない。また京都守護職から論功行賞が発表せられたが、山崎蒸の名は無かった。山崎蒸は池田屋へ出動しなかった事が明らかにされたのであるが、山崎蒸の佩刀は大坂正宗といわれた名匠である井上和泉守国貞である。新刀としては最上作の業物である。いい刀を持っていたのである。生国は日向といわれ、彼は堀川国広の門人とも越後守国傭の弟子ともいわれている。”
出典『蒼き戦士 新選組 川西正隆と私』若山拳 著/新人物往来社
井上彦三郎新選組資料館所蔵の越前康継や、土方歳三資料館所蔵の和泉守兼定とは違い、信憑性は疑わしく、ハッキリとした確証が無い為、「だったらしい」という言い方しか出来無いのですが、和泉守国貞の刀は値が張るので、なんとも浪漫のある話ではないですか。
山﨑さんが、高価な刀を持っていたとは!
(備前の刀研師さんの話によると、現在でも高価とのこと!)
この和泉守国貞、親子二代で有名な刀鍛冶。
父親の方を親国貞、子供の方を改名後の井上真改と俗に言います。
山﨑さんが持っていたのは、井上真改の方のようです。
「国貞の刀を持っていたらしい」と知った時、親と子のどちらなのか分からなかったのですが、『大坂正宗』『井上和泉守国貞』との記載から、真改の方だと判明。
『大坂正宗』とは、正宗と言う有名な刀鍛冶にちなんだ、大阪で活躍した真改のあだ名です。
真改はとても優秀だったようで、刀を天皇に献上し、銘に菊の御紋を刻むことを許されたこともある程。
活躍したのは摂津、現在の大阪ですが、生まれは九州の宮崎。
現在の木花(きばな)運動公園の近くにある「西教寺」出身とのこと。
木花は、私が幼少期に住んでいた所から車で10分位の場所なので、ご縁が深い。木花運動公園には自転車で行ったりしていました。
2017年10月21日から12月17日の期間、宮崎の刀匠の刀を集めた展示会『日本刀の美と歴史-日州刀の魅力-』が、宮崎県総合博物館で開催。
その時は、和泉守国貞・井上真改、親子揃って数口展示されていました。
※日州刀(にっしゅうとう)とは、日向国(宮崎)に所縁のある刀匠が打った刀の総称です。
■参考 ウォーカープラス
また、宮崎県南部にある飫肥(おび)城歴史資料館には、真改の刀が3振所蔵されていました。
拝観したのは随分前(2019年)なので、今も展示されているかどうかは不明ですが。
行かれる際は要確認です☆
■井上真改(二代目 和泉守国貞)
1631年、日向国木花村木崎生まれ。
父と共に摂津国(大阪)へ。
24歳で襲名(父の死)。
25歳で「和泉守」を受領(ずりょう)。
30歳で十六葉菊花紋を茎(なかご)に入れることを許される。(天皇に献上)
壮年期まで「国貞」、晩年「真改」。
※御留鍛冶と言い、藩主の許可が無いと作刀を引き受けられなかった為、「真改」銘は少ない。
53歳で急逝。