新選組とは
そもそもの話、新選組とはいったい何なのか?と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
そこで今回は、新選組とはなんぞや?ということを分かりやすく解説します。
新選組とは、江戸時代末期(一般的に「幕末」と呼ばれています)に活躍した、剣客集団のことです。
当時の京都は政治の中心でしたが、尊王攘夷派等の暗躍により治安が悪く、それを警備する為に清河八郎という人物が中心となって江戸で有志を募りました。
※尊王攘夷(そんのうじょうい)とは→尊王:天皇を尊重し、政治の中心に置くべき、攘夷∶外国を排除し、国内の安全を守るべき、とする思想のこと。
そこで集まった剣客達の中に、後に新選組局長となる近藤勇率いる試衛館の面々がいました。
集まった剣客達は、文久3(西暦1863)年2月に江戸を出発。京都に到着した際、清河の演説で志が違う事を知った、近藤勇一派、芹沢鴨一派らは離脱します。
離脱した彼らは、翌3月に京都守護職・松平容保公のもと、会津藩預かりの壬生浪士組となります。
その後、新選組と名乗るようになりました。
初めは24名しかいませんでしたが、隊士の募集を重ね、最大200名を越える時もありました。
局長 近藤勇、副長 土方歳三、総長 山南敬助。
初めは、芹沢一派の面々が、筆頭局長に芹沢鴨、副長助勤に平間重助、野口健司、平山五郎と並んでいましたが、目に余る暴挙の為、間もなく粛清(暗殺)されました。
大勢の隊士達は、以下、10組の組長の下に振り分けられていました。
一番隊組長 沖田総司
二番隊組長 永倉新八
三番隊組長 斎藤一
四番隊組長 松原忠司
五番隊組長 武田観柳斎
六番隊組長 井上源三郎
七番隊組長 谷三十郎
八番隊組長 藤堂平助
九番隊組長 鈴木三樹三郎
十番隊組長 原田左之助
山﨑さんは、諸士取調役兼監察方でした。
諸士取調役兼監察とは、内部、外部の情報を仕入れるスパイのような役割です。
同じ役職には他にも、島田魁、篠原泰之進、吉村貫一郎らがいました。
新選組の主な役割としては、京都市中の尊王攘夷派の取り締まり等、警護を担当していました。
有名な事柄に、山﨑さんの名前もよく出て来る池田屋事件、鳥羽伏見の戦い等があります。
鳥羽伏見の戦いについては、こちらの記事でも触れています。
鳥羽伏見の戦いで新政府軍が官軍、新選組含む旧幕府軍が賊軍となり、北へ北へとのぼりました。
土方さん含む少人数の新選組隊士が残りましたが、明治2年、土方さんの戦死をきっかけに、新選組の幕が下りました。
以上、簡単ですが、新選組についてでした。