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土方歳三資料館様のクラウドファンディングを皆で応援しよう

2025年4月現在、土方歳三資料館様にて、クラウドファンディングが実施されています。 土方歳三つなぐプロジェクト〜遺品修復と複製で未来へ紡ぐ歴史〜 募集期間:2025年5月26日23時59分まで 集まった資金は、劣化の為に公開不能となっている、土方さんが池田屋事件で使用した鎖帷子(くさりかたびら)の修復や、 公開するにあたっての複製、和泉守兼定の拵、刀身の写しの作成等に充てられるとのこと。 私も、2024年4月に土方歳三資料館を訪れましたが、貴重な歴史的お品物ばかりで眼福でした。 ☆その時の記事はこちら☆ それらを保管、未来に継承していくのは大変なことかとお察しします。 個人様で運営されているので、ご負担は計り知れず… 新選組ファンの皆さんのお力添えが必要になっていると思います。 これから先の未来でも、土方さんの遺したものたちを拝観出来ますように。 私も微力ながら、支援させて頂きました! リターンには、土方さん手植えの矢竹をモチーフにしたバッグチャームや、鎖帷子や和泉守兼定のポストカード等があります。 他にも、「石田散薬の調合にでも使って下さい」と、土方さんが京土産に持ち帰った器をモチーフにした豆皿は、職人さんの手作業でひとつひとつ丁寧に作られているとのこと。 また、刀剣乱舞とコラボもされており、今回の為に描きおろされた刀剣男士・和泉守兼定のイラストを使ったクリアファイルも。ファンの方には嬉しいお品物ですね。 更に、支援帳名簿にご自身の氏名も記載して貰えます。素晴らしい記念になりそう! 目標金額の三千万円は達成していますが、本来はもっと必要なハズです。 是非アクセスして、ご覧になってみてくださいね。 ☆詳細はこちらから↓ 土方歳三つなぐプロジェクト〜遺品修復と複製で未来へ紡ぐ歴史〜 ※募集期間が2025年5月26日23時59分までですので、ご注意ください☆

新選組と私 ~山﨑丞さんに出逢う旅・新選組慰霊祭~

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2015年7月16日早朝。 台風で強風の中、私は、伊丹空港行きの飛行機に乗っていました。 永年、山﨑さんの研究をしてきた私にとって、特別な京都行き。 家族旅行で一度行ったことはありましたが、家族が居て遺跡巡りが難しかった為、今回が初めての新選組遺跡巡りとなります。 きっかけは、山﨑さんモデルの模造刀が無いか調べていた所、京都の旧前川邸にて販売しているとの情報に行き着いたからです。 新選組慰霊祭が近いこともあり、それに合わせて京都行きを決断しました。 伊丹空港からは、高速バスで京都駅まで。 京都駅に着くと、一日乗車券をゲットし、バスで移動することに。 まずは、京都駅から程近い、第3の屯所・不動堂明王院まで歩きました。 沢山の提灯が印象的です。 ■不動堂明王院の公式サイトはこちら 第3の屯所は、場所が不確定の為、点在しています。 陸橋を渡って、もうひとつの第3の屯所と言われている、リーガロイヤルホテル京都へ。 石碑もありました。 そこから少し歩き、時代を遡るように、第2の屯所・西本願寺へ。 想像以上にとても大きく、大迫力でした。 西本願寺に挟まれた小道を歩き、きっと、山﨑さんや土方さん達も同じようにここを歩いたんだと思うと感激です。 ■西本願寺の公式サイトはこちら 1日乗車券を使い都バスに乗って、次は、壬生へ。 来たのだ!と、熱く込み上げるものがありました。 聖地と言うと軽々しく感じられ憚られますが、やはり、我々にとっては聖地。 第1の屯所・壬生寺。 境内は広く、砂利が敷き詰められています。 「車は入るな」に反して、馬を乗り入れていた新選組。 近藤さんの胸像の前に、素敵に咲く蓮。 豪胆と繊細さの共存が、新選組らしいな、と思いました。 新選組慰霊祭では、芳名帳に記帳させて頂いたばかりか、 参列、ご焼香までさせて頂き、大変有難い経験でした。 沖田家や永倉家等のご子孫様達も参列されていました。 参列させて頂いたことで、本当に存在していたのだ、と、生きた証を感じ、感無量で涙が溢れました。 ■壬生寺の公式サイトはこちら その後、旧前川邸にて、念願の山﨑さんモデルの模造刀を手に入れました。 (国貞では無く、国重とのお話でした。) 女将さんやお姉さんがとても親切で、安心してお買い物が出来ました! ■旧前川邸の公式サイトはこちら 八木邸では、柱に残る刀傷等を見学。 有名な刀傷は、触れら...

山﨑さんの命日

 山﨑さんの命日は、慶応4年1月13日(旧暦)だと言われています。 現在のグレゴリオ暦だと、1868年2月6日です。 鳥羽・伏見の戦いの負傷で亡くなったとされています。 ■鳥羽・伏見(とば・ふしみ)の戦いとは…  時:慶応4年1月3日(1868年1月27日)~1月6日(1月30日)  所:京都南郊の上鳥羽(京都市南区)・下鳥羽・伏見(京都市伏見区)等  人:明治新政府軍(薩摩藩・長州藩)対 旧幕府軍(新選組等) 慶応3年12月、大政奉還・王政復古の大号令により江戸幕府が消滅。 伏見では旧幕府軍と新政府軍が対峙。 明けて慶応4年1月3日、鳥羽・伏見の戦いが勃発しました。 新選組は白兵戦に出ましたが、新政府軍の銃撃に遭い、また、薩摩藩兵の砲撃で奉行所が炎上した為、淀城下に退きました。 4日、新政府軍が朝廷からの錦の御旗を掲げたことにより官軍となり、旧幕府軍は賊軍となってしまいました。 それにより、淀藩は旧幕府軍の淀城入城を拒否。 仕方無く新選組は、千両松の堤防で新政府軍を迎え撃ちますが、ここで、井上源三郎さんは戦死、山﨑さんも重傷を負います。 大坂から江戸へ向かう軍艦・富士山丸(ふじやままる)の中で山﨑さんが戦死したとされるのが、1月13日です。 艦内で亡くなり、紀伊沖にて水葬された際、局長の近藤さんは号泣したとされていますが、どこまでノンフィクションかは分かりません。 ※永倉新八・島田魁らの手記では水葬とは記載されていないようです。 以下、各史料からの引用です。 永倉新八『新選組戦場日記 浪士文久報国記事』 「山崎丞、淀城攻防戦で戦死」 「余儀無淀城下江火ヲカケ、残リ橋本宿引揚ル。  此時、新選組副長助勤山崎丞其外討死多シ」 (仕方無く淀城下に火をつけ、残った者は橋本宿に引き上げる。  この時、新選組 副長助勤 山﨑丞 その他、 討死多い) 近藤芳助『新選組往事実戦談書』 「山崎は重傷にて大坂八軒家京屋宅にて確と見認(みと)め候。  遺骸は大坂にあらんか」 (山﨑さんは重傷で、大坂八軒家京屋の家でしっかりと見ました。  遺体は大坂にあるのではないか) 御香宮神社所蔵『戊辰東軍戦死者霊名簿』 「負傷後船中において死 諸士調役 山崎進(丞)」 (負傷した後、船内で死亡 諸士調役 山﨑丞) 子母澤寛『新選組遺聞』 「船中で死亡した山崎は水葬に付さ...

佩刀

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 山﨑さんの持っていた刀は、「和泉守国貞(いずみのかみ・くにさだ)」と言われています。 “池田屋騒動に出動した新選組隊士三十四人の佩刀は新選組刀研師源龍斎俊永の覚え書に記録せられたが、池田屋騒動には必ず出て来る探索方山崎蒸の名前は書き留められていない。また京都守護職から論功行賞が発表せられたが、山崎蒸の名は無かった。山崎蒸は池田屋へ出動しなかった事が明らかにされたのであるが、山崎蒸の佩刀は大坂正宗といわれた名匠である井上和泉守国貞である。新刀としては最上作の業物である。いい刀を持っていたのである。生国は日向といわれ、彼は堀川国広の門人とも越後守国傭の弟子ともいわれている。” 出典『蒼き戦士 新選組 川西正隆と私』若山拳 著/新人物往来社 井上彦三郎新選組資料館所蔵の越前康継や、土方歳三資料館所蔵の和泉守兼定とは違い、信憑性は疑わしく、ハッキリとした確証が無い為、「だったらしい」という言い方しか出来無いのですが、和泉守国貞の刀は値が張るので、なんとも浪漫のある話ではないですか。 山﨑さんが、高価な刀を持っていたとは! (備前の刀研師さんの話によると、現在でも高価とのこと!) この和泉守国貞、親子二代で有名な刀鍛冶。 父親の方を親国貞、子供の方を改名後の井上真改と俗に言います。 山﨑さんが持っていたのは、井上真改の方のようです。 「国貞の刀を持っていたらしい」と知った時、親と子のどちらなのか分からなかったのですが、『大坂正宗』『井上和泉守国貞』との記載から、真改の方だと判明。 『大坂正宗』とは、正宗と言う有名な刀鍛冶にちなんだ、大阪で活躍した真改のあだ名です。 真改はとても優秀だったようで、刀を天皇に献上し、銘に菊の御紋を刻むことを許されたこともある程。 活躍したのは摂津、現在の大阪ですが、生まれは九州の宮崎。 現在の木花(きばな)運動公園の近くにある「西教寺」出身とのこと。 木花は、私が幼少期に住んでいた所から車で10分位の場所なので、ご縁が深い。木花運動公園には自転車で行ったりしていました。 2017年10月21日から12月17日の期間、宮崎の刀匠の刀を集めた展示会『日本刀の美と歴史-日州刀の魅力-』が、宮崎県総合博物館で開催。 その時は、和泉守国貞・井上真改、親子揃って数口展示されていました。 ※日州刀(にっしゅうとう)とは、日向国(宮崎)に所縁のある刀匠...

新選組と私 ~熊本・和泉守兼定編~

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 2024年1月、熊本城の近辺にある熊本県立美術館・細川コレクション永青文庫展示室にて、 和泉守兼定が土方歳三資料館から出張展示される、とのお知らせが舞い込んで来ました。 熊本ならすぐそこだ! ということで、初日の1月10日に行ってきました。 ★和泉守兼定(いずみのかみかねさだ)とは……  土方歳三さんの愛刀で、土方さんが函館で戦死した後、  生家(現在の土方歳三資料館)に戻ってきたと言われています。 当日の朝、長男の運転で熊本へ。 歴史に全く興味の無い長男を無理矢理連れて、しかも車まで出させるという… しかし、長男は特に気にして無いみたいで一安心。 展示室は既に沢山の人で溢れていました。 若い女性が多かったように思います。 これも、土方さん、和泉守兼定の人気か!と感動。 中に入ると、貴重な品々のなか、和泉守兼定が! 初めまして!! 雑誌等では何度も目にしていましたが、これが本物か!と、とても感激しました。 他に、山﨑さんのお名前も並んだ隊士名簿もあり、 山﨑さんの生きた証がここに!と、これまた感激でした。 惜しむらくは、当日、土方愛館長の講演があったのを後日知り、拝聴出来なかったこと。 事前情報収集は本当に大事だな、と身に沁みました。 自分用に、ランダム缶バッチと、一筆箋を購入。 缶バッチは、くまモン等があったのですが、土方さんが当たりました☆彡 缶バッジが入っていた石田散薬の袋は、お薬入れに丁度良い大きさで重宝しています。 東京まで行かずとも拝観出来るという有り難さ。 機会に恵まれて本当に良かったです。

新選組と私 ~日野編~

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 2024年春。 ーー土方さんの遺髪が実在するーー 衝撃的なニュースが飛び込んできました。 しかも、期間限定で公開してくれる、とのこと! これは行くしか無い!と意気込んで、初めて、東京・日野にお邪魔しました! 当初は、行くかどうか迷いましたが、シフト休がたまたま公開日と重なっていたので、 これは運命!と思い決断しました。 学生時代からずっと憧れていた、日野。 新選組のルーツ。 2024年4月、朝7時の飛行機に乗り、福岡からは1時間半程で羽田空港に到着。 電車を乗り継いで、日野まで。 佐藤彦五郎新選組資料館には、11時頃に到着しました。 整理券を貰っての観覧なので、券が残っているか心配でしたが、 到着した時点でまだ残っており、観覧可能だと分かってホッと一息。 (駅から佐藤彦五郎新選組資料館までめちゃくちゃ早足で歩きました!) 観覧時間までまだ時間があったので、近隣の土方歳三資料館へ。 ところが、こちらは長蛇の列。 諦めて、そこから程近い高幡不動へ。 写真では何度も観た、土方さんの銅像を前に大興奮! 意外と大きい! 新選組好きには有名過ぎるスポットなので、 実際に足を運べて感慨深かったです。 時間になったので、佐藤彦五郎新選組資料館へ戻り。 中に入ると、貴重な品々の中に、遺髪が。 たった今切ったかのような、ツヤツヤな黒髪。 歴史上の人物の、肉体の一部がこうして残っており、 しかも、時を経て拝見出来る有難さ、 そして、本当に土方さんは実在したのだという、絶対的な存在感。 感無量で涙が出てしまいました。 ご子孫の福子様にもご挨拶出来て光栄でした。 また、土方さんが直接残したという刀、越前康継も拝観出来て感激でした。 土方さんがとても大切にしていた、とのお話に感動。 佐藤彦五郎新選組資料館を後にし、次に向かったのは土方歳三資料館。 時間が経ったからか、長蛇の列は無くなっており、スムーズに入れました。 こちらも、何度目にしたか分からない程、見慣れた門構え。 そして、胸像と、土方さんが植えた矢竹。 これが!夢にまで見た、手植えの矢竹!! 本物を前にし、こちらでも大興奮でした。 (一緒に行ってくれた次男が引いてました) 中では、ご子孫の愛様の貴重なお話も直に聴けました。 大好きな和泉守兼定と、その拵えも拝見出来て、大変幸運でした。 (通常、和泉守兼定と拵えは期間限定での公開...

出来事と史料

山﨑丞さんの、主な出来事と、関連する史料についてです。 ■池田屋事件 山﨑さんの華々しい活躍が描かれることが多い池田屋事件ですが、あれはフィクションであることが分かっています。 活躍し、ボーナスを貰った隊士の名簿には、山崎さんの名前はありません。 ですが、本来、居ないはずの隊士の名前が書かれており、それが山﨑さんでは?との見方もあります。 ここでも、「不詳」としか言えません。 ■『取調日記』 日野市郷土資料館様 のご厚意により、郵送でコピーを取り寄せました。 平成16年10月末、同館は史料提供を受け、展示したとのこと。 新史料に界隈が沸き立ったことでしょう。 かく言う私もその一人。 史料の最後のページには、立派な文字で大きく「山﨑丞」と書いてあります。 心躍る史料です。 これまで、もしかしてフィクションなのでは?!とも思っていた山﨑さんが、実在したのです。 心躍らない者は居ないのでは? 84ページに渡るタイトル『取調日記』には、日記は殆ど書かれておらず、隊士の名簿、洋式の軍の練習、俳句、等が書かれています。 専門家の方も、不明なことが多い、とのこと。 ネットニュース にもなりました。 ■『中山忠能(ただやす)日記』 中山忠能は、江戸末期から明治前期にかけての公家、政治家。 この日記から、山﨑さんが中山忠能に会いに来た、ということが読み取れます。 史料は、 国立国会図書館デジタルコレクション にて確認出来ます。 ■『中山忠能履歴資料』 こちらの史料も、 国立国会図書館デジタルコレクション にて確認出来ます。 山崎さんと吉村貫一郎が広島で活動していたことが伺えます。 ■『しろうや!広島城No.37』 広島城発行の冊子。 こちらも、 広島城公式サイト で確認出来ます。(バックナンバーから37号をご覧ください) 山﨑さんと吉村貫一郎が広島で活動していたことが詳細に書いてあります。 ■『おん祭と春日信仰の美術』 2013年12月7日から2014年1月19日迄、奈良国立博物館にて開催された『おん祭と春日信仰の美術』にて、「新撰組 山崎丞 切紙」が展示されたとのこと。 奈良国立博物館公式ホームページ にて詳細が確認出来ます。 ■『古文書つれづれ33 幕末京都の事件と記録 記録の中の”新選組”その2』 鎌倉時代末期から続く公家・柳原家へ、山﨑さん・土方さん達が訪問した様子が記されて...